どうも~。藤井です。

今回は「先生・親など目上の人を疑いなさい」というテーマで

お話をしていこうかと思います。

 

つい先日、あるネイティブの先生(アメリカ人)と

話しをしていた際、

「茨城大学の学生は何でも言うことを聞く」といっていました。

確か、以下のようなことを言っていました。

 

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They will do anything.

If I tell my students to jump,

they will say like “How high, sir?” “How far, sir?”

It is just so different from America.

Probably that’s how they grew up.

 

【藤井訳】

彼らは何でもする。

もしジャンプしてと私の生徒たちに言えば、

「どれくらい高くですか?」「どれくらい遠くにですか」と言うだろう。

アメリカとは全然違う。

おそらく彼らはそのように育ったのだろう。

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(お分かりかもしれませんが)このお話のポイントは、

 

生徒たちは、

「なぜ授業中にジャンプしないといけないのか?」

と疑問に思わない(または思っても口に出さない)

 

というところです。違う言葉で言えば

「先生がめちゃくちゃな注文をしても

日本の生徒たちならやってしまうのではないか?」

というお話なんです。一方、アメリカで

授業中に「ジャンプして」と言ったら

おそらく Why? となるでしょう。なぜなら

「授業中にジャンプをする意味が分からないから」です。

日本人の方も「あ~、言われてみればそうだよな~」

と思うかもしれませんが、

逆に言えば「言われなければ気づかない」

ということでもあると思います。また、気づいていても

「先生が言っていることだから、反論しない」という方も

いらっしゃると思います。

 

日本には学校や職場などでの「先輩・後輩」の文化から始まり、

昔から「年上の言うことを聞く」「年上の言うことに反論しない」

という考えが、多かれ少なかれ

あらゆる場面で垣間見える気がします。これは、

儒教の教えとかも絡んでいるのかもしれませんね。

しかし、

 

「年上の言うことを聞く」ということは

「自分で考えない・自分で考えようとしない」ということ

 

です。これでは、ロボットと同じ。

そのため「この環境を変えないといけない!」と本来なら

思いますよね?しかし、こういう改革はあまり積極的に

行われないのがこの日本社会です。

なぜなら

「自分で考えない・自分で考えようとしない」という

人を利用して、得をしている方々がたくさんいるから

 

です。例えば、大学教員、政治家、役人などの

「場合によっては、人の上に立っている人たち」です。

なぜなら、

 

彼らにとっては「考えない・考えようとしない」

という人たちは「自分の言うことを聞きコントロールしやすい」

都合のいい存在だから
 

です。例えば、大学教員。

先ほどのネイティブとの会話もそうですが

 

今の日本の学生の多くは、

先生だからという理由で我々の言うことを聞いてくれる。

そして、多少不満であっても、あまり文句を言わない

 

という性質を持っています。(他の科目の教員は

分かりませんが)これは英語教員にとっては

けっこうありがたいお話でもあります。

なぜなら、大学の英語の授業は先生が指導内容を

決めるということが多々あるからです。

 

少なくても私の経験では、英語の授業を担当する際、

教科書だけ渡されて「あとは適当に」というのが

一般的なスタイル。ワークシートやテストがあれば

かなり親切。大学によっては

「コース名はこれだけど、あとは教科書も何でも自由」という

ほぼ教員に丸投げというのも、よく聞きます。

こうなりますと、授業の内容は先生次第。

先生だって人の子。熱心な先生もいれば、適当な先生もいる。

バレないし、クレームもでないとなれば、

手を抜く先生がいるのは、当たり前です。

しかし、授業の後に「先生ちゃんと指導してください」

とクレームをつける生徒なんてあまり聞いたことがありません。

 

確かに最近は文科省からの指導(?)などもあり、

シラバス(授業の内容、進め方、

評価の仕方などが書かれている計画書)の

チェックは厳しくされていると聞きますが、

あくまで見られているのは「シラバス」であって

「授業」ではないです。そのため、シラバスと、

かけ離れた授業を行う先生も少なからずいるみたいです。

実際、私の研究室に来る学生に話を聞いてみると

「スピーキングの授業って書いてあったのに、

全然スピーキングを行わなかった」

「ライティングの授業なのに、

先生が話してばっかの授業だった」

という話はよく聞きます。

 

もちろん、授業の最終日に学生アンケートが行われ

そういった意見も出たりするのですが、書いてくれるのは少数派。

そのため、不満が理由で先生が懲戒を受けたという話は

私は一度も聞いたことがありません

(私が聞いたことがないだけかもしれませんが)。

ここでも「意見を言わない」という

日本人の性質が生きてくるんですね(笑)

 

まあ、学生からすると何より重要なのは

「授業の内容」よりも「単位」であることも多く、

「単位が取りやすければ授業内容がシラバスから、

かけ離れていてもOK」と考える学生も少なくないみたいです。

実際、私が見てきた大学生の多くは

「何かを学びたくて授業に来ている」というより

「単位が欲しくて授業に来ている」というタイプの方たちです。

更に言えば「〇〇大学卒」という一行を

履歴書に書くために授業に来ている方たちです。

しかし、大学生の多くはまだ子供。そのため、

勉強する意味も分からず「単位のために授業に来る」

というのはある意味、仕方がないことなのかと・・・

しかし、それを良いことに

教員が好き勝手授業をするというのは、

やはりどうなのかな・・・と思いますね。

 

また別の視点から。最近何かと話題になっている

財務省ですが、少し前まで「消費税」を上げることに

財務省は必死になっていました。財務省の言い分としては

「日本の借金が大変な額になっているから」というお話でしたが

真実は違うそうです。では真実とは何か?

私が聞いたのは

 

財務省の仕事は、ざっくり言うと

「お金を集めて、分配する」というもののため、

税金を増やせば、

財務省が自由に配分できるお金も増えるから

 

ということです。 例えば、地方自治体や

大学に「今度、おたくのところの配分を多くするから、

今度財務省を退職する○○さんを

そちらで雇ってもらえますか?」や

軽減税率(日用品など商品によっては

税率を高くしないこと)を入れることで

「おたくの商品は消費税が上がらないように

するから、○○さんを雇ってもらえますか?」

といった「天下りの交渉」も行われるという話も

聞いたことがあります。

これはデマかもしれませんが、納得いく話では
あると思います。

 

今は、森友問題もあって「財務省は解体するべきだ」と

発言される方も、多々いらっしゃいます

(例:亀井静香氏、長谷川幸洋氏、高橋洋一氏、など)。

 

「考える力がないと、搾取されるだけの人生で終わってしまう」

というのはある意味事実でしょう。

最後に(受験のタイミングとはずれてしまいましたが)

「なぜ勉強する必要があるのか?」という動画を紹介します。


 

 

個人的には「だいたい正しいのではないか?」と思いますね。

残念ながらそれがこの社会です・・・。