以前、「藤井への反論の特徴」という形で
私のツイッターやブログに届く意見の特徴を書かせてもらいました。
具体的には

 

・論点があっていない。
・客観性がない。

 

というものでした。そして、本日も反論があったので、簡単にご紹介。
今回は「いじめ」に関するつぶやきに対してtohrisugariさんからの
反論でした。

 

まさにこれっすよ(笑)「なんともま~・・・」というお話なのですが
今回私が言いたいのはこういうことではないんです!
今回言いたいのは、この赤で囲まれているところ!!

 

どういうことか?今回のツイートは

 

➀藤井が「いじめ」についてつぶやく
➁tohrisugariさんが反論。
➂藤井も反論。
⓸tohrisugariさんのつぶやき。(赤枠のところ)

 

という流れだったのですが、

 

⓸で「自分は一方的に否定された」と発言されているんですね。

 

ここです!!!これってすごく不思議だと私は思ったんです。なぜなら、

 

「え?➁の段階で、藤井の意見を全否定的に反論してきたのはあなたですよ。
実際、『的外れですね』なんて発言されているじゃないですか。
これって結構キツイ言い方だと思いません?」

 

と思ったからです。そしてその後、
私は「まあ、そういう意見もあるだろう」ということで
➂の反論をしたのですが、
そしたら⓸のように「自分は全否定された」となったわけです。

 

「どういうこっちゃ?」と思っていた時に、あることを思い出したんです!
D.カーネギー氏の「人を動かす」という本に書かれていたある例を。

それは凶悪犯の「2丁ピストルのクローレ―」についてです。
彼は、「針の先ほどのきっかけでも人を簡単に殺す」と
言われていた殺人犯だったそうなのですが、
彼は自分の心を「疲れ果てた心であるが、優しい心である」と主張していたそうです。
「え?優しい心?そんなすぐに人を殺すのに?」
また死刑が執行される直前の、最後の言葉は『反省の言葉』ではなく
「自分の身を守っただけのことで、こんな目に合わされるんだ」だったそうです。

 

何が言いたいのか?いじめの話にもつながるのですが、

 

「いじめの加害者」も
「ツイッターで噛みつく人」も自分は被害者である
と考える傾向があるのではないだろうか?

 

確か、神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年Aも
佐藤優氏によると「自分は社会から苦しめられた被害者」だと思っているみたいです。
(こんなことが「自分を動かす名言」という本に書かれていましたね)

当初は「そんなもんなんかな~・・・」と思っていたのですが、
今回、このような形で反論を受けることで初めてそれに気づけましたね。
なるほど~、そういうことだったのか~。

 

改めて思う。自分が理解できない人は世の中に本当に山のようにいると。