今回は、「半分、青い。」の「死んでくれ」発言について

ちょっと個人的な意見を言っていこうかと思います。

(実は、日本ボクシング連盟の山根会長についてのお話も

したいと思っていたのですが、こちらは現在進行形と言いますか

まだまだいろいろと出てくる気配がありますので、また後日)

 

さてさて、相変わらずのYahoo newsを見ていたら

「半分、青い。」について以下の記事が出ていました。

 

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【「半分、青い。」で鈴愛衝撃の「死んでくれ」発言 ネット賛否両論渦巻く】

<記事の冒頭>

 

1日に放送されたNHK連続テレビ小説「半分、青い。」で、ヒロインの鈴愛(永野芽郁)が離婚を切り出した涼次(間宮祥太朗)に「死んでくれ」と衝撃セリフを口にし、ネットでは賛否両論が渦巻いている。

 

(中略)

 

この衝撃的なセリフにネットでは「朝から死んでくれとはな」「『家族は邪魔』『死んでくれ』そんなの冗談でも言ったらダメじゃない?」「死んでくれはないよな…」という意見がある一方、「鈴愛も死んでくれって言うわ。せめて別の日に話を持ち出すかしたらいいじゃないの」「涼ちゃんに『家族は邪魔』って言われて『死んでくれ』って返す鈴愛ちゃんをどうして責められるか」「涼ちゃんくずやねぇ」「りょうちゃんに死んでくれと言ったすずめの気持ちめちゃ分かる」など、鈴愛に理解を示す書き込みも多数上がっていた。

Yahoo news より)

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まず、私は、この「半分、青い。」というドラマを

全く知らないので、ネタバレサイトなどで、

あらすじをチェックしようとしたのですが・・・

もう、今回のが105話目だったのですね・・・orz

105話もあると、あらすじを読んでいても、

全然頭に入ってこない(泣)

そのため「登場人物の気持ちを考慮するに、
“死んでくれ”というセリフは・・・・」といった
コメントはできないので、根本的なところで
 
テレビで「死んでくれ」というセリフについて
藤井は何を思ったか?

 

というところだけお話をしていこうと思います。
う~ん・・・これは難しい。難しいのですが、私は
 
「死んでくれ」という言葉は使うべきではなかった。
しかし、使ったところで、そこまで騒ぐことでもなかった
と思いました。その理由は
 
言葉の重さは人によってそれぞれで
特に「死」という言葉は捉え方がいろいろだから
 
です。「死」という言葉を「軽く捉える人」もいれば
「重く捉える人」もいます。
 
【軽く捉えているケース】

思春期の子供なら、友だちとふざけている時に

「お前、死ねよ~(笑)」というように使う人もいるでしょう。
また、お笑い芸人でも「コント」や「ネタ」で「死ね」という言葉を
使う人を見たことがあります。彼らにとって「死」という言葉は、
笑いに使える。つまり、あまり重さを感じていないのだと思います。
また、ツイッターなどのSNSでも「死ね」という言葉は
よく目にします。匿名性ということもあってか
使っている本人たちは、
そこまで深くは考えずに使っているのでしょう。
芸人のウーマンラッシュアワーの村本大輔氏は
自身のツイッターで「死ね」とものすごく言われている(いた?)と
聞いていますが、彼の場合、言われすぎて、
もう「死ねもなれればこんにちは」とも発言されていました。
「死ね」という言葉にはナイフや銃とは違い
物理的殺傷能力はないため、使ってもかまわないと
お考えの方がいてもおかしくはないかと思います。
 
【重く捉えるているケース】
一方で、「“死ね”なんて軽々しく言うもんじゃない!」という
意見もごもっともだと思います。身内の死など
「死を身近で感じたことのある人」は、
「死」という言葉を重たく受け止めている人が
多いのではないでしょうか?

仙台出身のお笑いコンビであるサンドウィッチマンは

東日本の震災後、ネタの中に「死ね」という言葉を使うのを
やめたそうです。(デイリーより)
また、日本には「言霊」という「言葉には霊的な力が宿る」という
考えもあります。そして、「使う言葉によって
幸せになったり、不幸になったりする」といった類いの本は
山のように出ています。そう考えますと、
ネガティブな印象が強い「死」という言葉は、
使わない方が良いという意見もごもっともだと思います。
 
そういうこともあり、日本社会において「死」という言葉は
微妙なものなのだと思います。この微妙な言葉・・・
今のテレビ業界は特にこういう言葉に敏感な印象があります。
今回も、このように騒ぎになりましたが・・・
実は、これを狙っていたのでは?
今回のことにより「半分、青い。」が(再び?)注目されたのは
間違いありません。全く興味がなかった私も
いろいろと調べてしまいましたから・・・。
もし、そうだったとしたのなら、
それは、なかなかの策士だと思います。
 
ちなみに、私の意見は
 
藤井は「死」という言葉を使わないようにしています。
 
これは、教員という仕事の影響もありますが、
私は
 
言葉は使い方を間違えれば「凶器」。
そして、この凶器は場合によってはは
ナイフや銃よりもたちが悪い
 
と考えているからです。言葉が傷をつけるのは
「身体」ではなく「心」です。心に負った傷は、
何年も癒えないことがあります。
そして言った本人は何の罪も感じていないことがよくあります。
みなさんにもあるのではないでしょうか?
「○○に言われたあの言葉は、ショックだった」
「△△に言われたあの言葉は、一生忘れないだろう」
といった経験が。そして言った本人は
「覚えていない」「そんなに傷つくとは思わなかった」
といったように、あまり深く考えていないことが・・・。
 
しかし、言葉にはそれだけ力があるため、
 
使い方によっては人を「幸せ」にもしてくれます。
 
「いつもありがとう」の一言が、
その人を1日中、嬉しい気持ちにさせてくれたり、
「心配しないでも大丈夫だよ」の一言が、
その人に安心を与えたりします。相手が笑顔になる言葉。
幸せな言葉は、相手だけでなく
自分も幸せな気分にさせてくれる・・・少なくても
私はそう感じています。
 
やはり言葉は使い方大事なのかな。
・・・と、偉そうに書いていますが、
私も言葉の使い方はしょっちゅう間違えます orz

「相手を傷つける言葉」ではなく

「相手を幸せにする言葉」を積極的に使っていきたいですね。
そんなことを思っています。