どうも~。藤井です。
昨日のツイッターで以下のつぶやきをしたのですが
>高校野球を見ていると、
>バッティングの際、
>監督が全て指示を出しているのが気になる。
>自分で考えることをさせず、全く自主性がない。
>よくみる日本の教育そのもの・・・
>だが、これは少年野球から続いていることを今日学んだ。
>自分で考えさせればいいのに・・・
>これじゃあ、自主性は育たないよな〜
こちらに知り合いの方(Aさん)から以下の
貴重なご意見をいただきました。
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ちょっと気になったので長いですが、
僭越ながらコメントをさせていただきます。
ご指摘の監督からのサインですが、
ランナーとのバッターの意思疎通、
連携を円滑にするための一手段かと思われます。
実際、ランナーがいなければサインが出されないことも
多々あるでしょう(チームによるのかもしれませんが)。
試合中は(少なくとも私の知る野球の試合では)
自主性よりチームワークのほうが大切です。
野球には、打者一人で点を取ることができる
ホームランという夢のようなルールはあるものの、
現実的に考えればそれを打てる力があるのは
ごく一握りです(だからこそ清宮くんが
凄いと言われるのであって、
一生に1本も打てない子のほうが多いのでは…?)
私の知る限り、野球というスポーツは
ピッチャー対バッター、というだけのゲームではなく、
何らかのきっかけ(ヒットなり四死球なり)で
塁に出たランナーを
みんなで協力してホームに返すゲームです。
“自主性がない“試合の後には、
誰に言われるでもなく選手間でミーティングを行い、
チームの課題を共有し、
練習へのフィードバックをしています。
ミーティングの後には、誰に言われるでもなく
自ら課題を設定して練習に励んでいる球児が
たくさんいます。彼らのこうした見えない努力を
自主性と言わずなんと言いましょうか。
野球の試合、さらにはバッティング時のサインという
極めて狭い一場面だけを見て、彼らに自主性がない、
野球では自主性が育たない、と判断するのは
些か傲慢なように思います。
「日本人で英語ができるやつは優秀」と
思い込んでいる今の日本社会と同じくらい
浅はかな考えだと私は思います。
それに、自主性が養えなければ
日本の教育はダメなのでしょうか…。
自主性が全てではありませんし、
自主性は人に教えられるものではありません。
育む場は様々なところにあります。
「教育」は学校でしか行えないのでしょうか。
自主性は学校だけでしか養えないものなのでしょうか。
もし、日本の教育で自主性が育っていないと仰るなら、
どうやれば自主性が効果的に養えるのでしょうか。
私にはそれが一朝一夕になるものではなく、
1つ1つの小さなことの積み重ねであって、
学校教育だけで養える小手先の知識とは
全く違うもののように思えますが…いかがでしょうか。
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