どうも~、藤井です。

久しぶりにブログをアップしようと思います。

今回のテーマは「格差」です。

 

実は、私の研究室には英語を学びたい学生さんだけでなく、

久しぶりに挨拶に来てくれる学生さん、

いろいろな学部の先生、そして事務員の方などちょくちょく

話をしに来てくれます。おそらく、

「英語を学びたい学生さん」よりも、

英語以外のことを話に来られる方の方が多い気がしますね(笑)

悩みを打ち明けてくれる学生さん、

学部の事情を説明してくださる先生、事務員としての

大学での業務についてお話してくださる事務の方など

面白いお話をいろいろと伺えて、非常にありがたいお話です。

 

ぶっちゃけた話、先生や事務の方とは

給与のお話とかもします(笑)

(まあ、大学の教員の場合、同じ大学なら

役職、年齢、勤続年数などである程度は、

給与も把握できるかもしれませんが・・・)

事務の方の給与については、テニス仲間や

大学の事務員として働いていた

身内から話を聞いたこともありますので

いろいろな話を聞いているのですが・・・

話をしていて思ったのは

「教員(常勤)と事務の方の給与の差が

けっこう開いている(非常勤は別)」ということです。

 

もっとも、一概には言えないのですが、少なくても

私が聞いてきた範囲では

「教員(常勤)の方が最低でも1.2~1.5倍近くもらっている」

といった印象がありました。また、ある事務の方は

40代で私の給与の半分という方もいらっしゃいました。

地方国立大学の事務員といえば、基本的に公務員ですので

それなりのお仕事だと思うのですが、それでも給与は

そこまで高いものではないといった印象がありました。

 

このようなお話をすると、教員の中には

「教員の方が多くもらって当然。

学歴だって長いし、非常勤で働くといった下積み時代も長い。

専門知識だって豊富なのだから、もらって当たりまえ。

もし、うらやましいと思うのであれば自分もなればいい」と

一喝される方も出てくるかもしれませんね。

 

しかし、そんなに単純なお話・・・でもない気もします。

例えば「勉強をしたくても、

経済的な理由から勉強できない方たち」は

どうなってしまうのでしょう・・・また、

「家族の問題(DVや親の離婚等)で、

勉強どころではない方たち」や

「身体障害や発達障害といった

何かしらハンデを背負っている方々」は、

どうでしょう・・・学習するチャンスを得ることすら

難しいのではないでしょうか。こういう方たちにも

「うらやましいと思うのであれば自分もなればいい」と

言えるのでしょうか・・・

 

(余談ですが、藤井家に関しましても、

もし父がアメリカに転勤になっていなかったら、

(私を大学に行かせるお金がなかったため)

私は高卒で働く予定だったみたいです。

しかし、父がアメリカに転勤になったため、

アメリカの現地の公立高校(学費は無料)に通え

大学、大学院まで行かせてもらえました。)

 

このように考えますと「どの家族に産まれたか?」

「どのような状態で(夫婦は仲が良いか?

障害はないか?など)産まれたか?」

といった、本人にはどうしようもできない理由で

特定の道は閉ざされてしまう・・・というのは

あまりにも酷な気がします。「経済格差による教育格差」は

よく耳にしますが、それ以外にも

「家庭の状況」「障害」なども大きく影響する気がします。

(もっとも、「ある道は閉ざされるが、逆に

開かれる道もある」といった考え方もできないことは

ないと思いますが・・・)

 

「経済や家庭環境といった格差を無視し、

全ての方に機会を平等に与える」というのは

夢物語だとは思いますが、

それでも「何かしたい」と私は思ってしまいますね。

教員以外の方とお話をすると、

そういう気づきもありますので

「自分はどのように生きるのか?」といったことも

考えさせられます。

 

こんなことを考えていた、つい先日の会議。

新規の採用に関してある教員が

「年俸400万円では安すぎますので、

良い教員を確保するのは難しいと思います」と

発言していたが、「おいおい、400万円って

だいたい日本の平均年収だぞ。

それを安すぎるはないんじゃないか・・・」と

ふと思った記憶があります。

 

自分の世界にとどまらず、やはり周りの見るということは

重要ですね。世の中は、

自分が思っている以上に複雑な気がします。