別の例を出しましょう。

TEDで、Frances Larson 氏は、

“Why public beheadings get millions of views”

というスピーチを行っています。

 

ここではスピーチの概要を

(長いですが)簡単に説明していきますが

ぜひみなさんにも観ていただきたいですね。
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「自称イスラム国」は多くの人々に見られるのを

分かっていて、斬首刑を行う動画を

インターネットに流している。

正確な視聴者数は不明だが、例えば2014年の8月に

イギリスで行われた調査によれば

ジェームズ・フォリーの斬首動画が

公開されてから数日間で視聴者数は

120万人に上ったと言われている。

これは最初の数日間のみの イギリスだけでの数字で、

今も増え続けている。そして、

観ている我々はこのショーに一役買っているのである。

なぜなら、こういったパフォーマンスは

「観る側」がいて初めて成り立つショーだからである。

 

しかし、民衆の娯楽としての死刑は

今に始まったことではない。

例えば、18205月政府閣僚の暗殺を企てた

「カトー街の陰謀事件」の首謀者達5人の死刑が

ロンドンで執行された。絞首刑の後首を切るという

恐ろしく残酷なもので一人一人順番に首が切り取られ

公衆に晒されていくものであったが、

見物に集まったのは10万人。

道は人で溢れ、 見物のために部屋や屋上を借りる人

荷馬車の上に登る人

街灯に登って見物しようとする人まで

いたと言われている。

 

また、1792年フランスで登場したギロチンは

期待外れだったと言われている。

それまでは処刑台上では、罪人が焼かれたり

切り刻まれたり ゆっくりと八つ裂きにされる

長く痛々しい処刑を 観慣れていた観衆にとって

ギロチンでの処刑はあっという間で見どころがないと

言われており、見物人たちは

「首切りはつまらん!絞首刑に戻せ!」 と叫んだという

 

また「自殺のけしかけ」。

自殺を考えてビルの屋上に上がると

それを見に来た人々で人だかりができる。

そして「早くやれ!飛び降りろ!」という

野次が飛び始める。

これはかなりよく知られた現象で、

1981年発表のとある論文によれば

自殺予告のあった21件のうち10件に

見物人の野次や「けしかけ」があったとされている。

 

昨今は こういった事件が時間も場所も遠くで起こるため

事件を身近に感じられないでいる。

この「他人との距離」や事件との距離感」こそが

残酷な映像を平気で観られる現代人を

理解する鍵となっている。

人はオンラインで行う活動をリアルとは区別し

まるで現実のものでないかのように捉えがちだ。

そのため、倫理的責任感が薄れてしまっているのである。

 

もう観るのは止めるべきだ。

でも 無理でしょう。

歴史がそれを物語っているし、

殺人者たちにもそれがわかっているのだから。

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