ここ数日話題になっているのが、杉田水脈氏の

同性カップルについての発言です。杉田氏は

「新潮45」という雑誌への寄稿で以下のような発言を

しています。

 

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彼らは彼女らは子供を作らない、つまり

『生産性』がない。そこに税金を投入することが

果たしていいのかどうか

 

(LGBTへの支援の度が過ぎると)

『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は
『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない

Yahoo newsより)

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私も「新潮45」の記事を読んだのですが、

 

なんでこんな言い方になっちゃったんだろう・・・

 

と思いました。私は杉田氏の意見を

全否定するつもりはありません。

彼女の言っていることに納得できる部分もあります。

例えば、「そもそも世の中は生きづらく理不尽なもの」というのは

納得です。また、「多様性を受け入れ、

様々な性的指向を認めると、そのうち兄弟婚、親子婚、

ペット婚、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれない」

という意見も、まあ分からないことはない

(「なぜダメなの?」と考える余地はあると思いますが)。

 

しかし、それでもやはり「言い方が雑」で、

私には腑に落ちない部分がいくつかありました。

今回はそんなお話をさせていただきます。

 

①税金は「生産性」のためだけに使われるものなの?

私の認識では、

 

税金とは

a. 国を良くするために使われるもの

b. 国民によりよい生活をしてもらうために使われるもの

c. 国を守るために使われるもの(国防)

d. 日本国民の人権を守るために使われるもの
 

などがあると思います。当然、「a. 国をよくするため」

「b. 国民によりよい生活をしてもらうため」というところには

「生産性」というものが含まれます。

インフラなどを整えることで安心できる生活を送れたり、

健康保険を充実させることで働き手をしっかり守るというのは

非常に重要なことです。また「c. 国を守るため(国防)」にも

「国をしっかり守ることで、安心して仕事ができたり、

家族を持てる」という意味で「生産性」が含まれると思います。

しかし、税金はそれだけでなく、もうすでに産まれている

「d. 日本国民の人権を守るためにも使われるもの」でもある

と私は思います。例えば、「高齢者支援」。

これには、正直そこまで「生産性」は期待できないでしょう。
それこそ「生産性」を上げたいのであれば、
杉田議員のおっしゃる通り、子育て支援や不妊治療を
もっと手厚くするべきです。しかし、高齢者支援も
「やって当たり前」というのが私の認識です。
なぜか?それは、
 
私たちは日本国民という「仲間」だから
 
です。仲間は助けるのに「生産性を求める」というのは
あまり聞いたことがありません。そんな杉田氏に
私は「北朝鮮拉致問題」について聞きたい。
 
北朝鮮に拉致された被害者の方々を救出するのに
あまり「生産性」は期待できないと思いますが、
そう考えますと拉致被害者の救出は不要だとお考えですか?

 

と。この問題は

という思想の話かもしれません。
(申し訳ございません。私はあまり哲学は詳しくないので
「功利主義」と「自然権的リバタリアン」の考えが
間違っているようでしたらご指摘いただけると幸いです。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m)
 
私は
「どちらかに偏るのではなく、2つを上手く組み合わせた形」
として

 

「税金」とは「国の生産性」を上げるためにも
使われるべきだが、「国民の人権」を守るためにも
使われて当然のもの

 

という考えです。だからこそ、「生産性」と「人権」の
どこで線引きをするのかが難しい・・・。こういう趣旨の流れから
杉田氏の発言が
 
じゃあ、LGBTに関しては「国の生産性」と「国民の人権」の
線引きをどこでするのか・・・税金にも限度がある、
マンパワーにも限度がある、そのため、
私は「国の生産性」に重きを置くべきだと考える。
 
という発言だったら、まだスッと入って来たと思うのですが・・・
やはり、ちょっと好戦的な言い方ですかね。
ちょっと残念です。
 
②杉田氏にとっての「常識」「普通であること」とは何?
また、杉田氏は
 
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(LGBTへの支援の度が過ぎると)

『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は
『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない

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「常識」「普通であること」というのは、
時代によって変化するものです。
例えば、携帯電話。昔は携帯電話は一部のお金持ちしか
持っていませんでした。しかし、最近では携帯電話は持って
当たり前。持っていない人がいれば
「え?持っていないの?」と驚かれるぐらいです。
これは、100年も前の話ではありません。つい最近のお話です。
(携帯電話の歴史についてはこちらのサイトから)
LINEやSNSでのいじめなど20年前、30年前には
なかったお話です。しかし、現在、学校でLINEやSNSでの
いじめについて対策を講じるのは「常識」となっています。
このことで「秩序」がなくなりましたか?社会は崩壊しましたか?
 
LGBTに関しての、認識も全く同じです。
20年前でしたら、
日本人の中でLGBTという言葉を知っていた人は
ごくわずかだったでしょう。しかし、最近では至る所で耳にします。
このように常識とは変化するものです。今は過渡期と考えれば、
『常識』や『普通であること』を見失っていくのは、
当然のことのように思えます。
 
また杉田氏は「LGBTへの支援の度が過ぎると」

といった趣旨の発言をされていますが、

そもそも「LGBTの度が過ぎる支援」とはどれくらいのことを

さしているのでしょうか?少なくても現状では、

まだまだ支援(国民の理解)が足りていないのは事実です。

杉田氏は以下の動画の11:45~で

「同性愛の子供の自殺率が6倍高い」という例もあげて

いらっしゃるのですが、

 

 

同性愛の子供の自殺率が高いのは、「理解してもらう」という

支援が足りていないからおきることなのではないのですか?

 

と私なら思います。また、「子供の自殺」について

お話をしているのに、笑いながら話すというのもなんだか・・・

 

主に以上のことから、私は今回の杉田氏の発言には

「ん?」と感じてしまいました。しかし、世の中を見てみますと

 
彼女の主張を理解する人もたくさんいるだろう
 
と思う部分もあります。(極端な話ですが)みなさんは
言葉をご存じですか?意味は
「同性愛に関して恐怖感・嫌悪感といった
否定的な価値観を持つこと」です。
表向きにはあまり登場しませんが、
homophobic (同性愛嫌い)な人たちは、世の中に一定数いて、
彼ら・彼女らには、
「政府によるLGBT支援は、あまり必要はない」という
杉田氏の主張は受け入れられることでしょう。
彼ら・彼女らも納税者であり、一国民なので
彼らの考えを無視することもできない・・・・
もしかすると、私の意見が完全に間違っていて
彼らの主張の方が多数派なのかもしれない・・・
そう考えますと、分からなくなりますね(苦笑)
 
「こういう複雑な世界に我々は生きているのだな~」と
考えさせられます。